『和尚さんから聞いた盂蘭盆会(うらぼんえ)のお話』

河島 正

私の家は横浜市の港南区にある。港南区は横浜市内とはいうものの、昭和44年、経済の発展、人口の増加に従って新しく分区して生まれた所だ。 私が、昭和45年、新しく造成され区分された60坪弱の土地を三井系の土地会社から買ったとき、広い台地に数十の区分けされた更地のみが広がっており、既成の住宅はぽつぽつと見本品のように建つだけだった。
 それから2年後、その港南区日野町8丁目に自分の初めての家を建て、自由が丘から引っ越したとき、港南台駅というものはまだ出来て無く、1車線しかない鎌倉街道の家の軒をかすめて、バスがよたよた走っていた。まもなく、開発という名の無粋な活動が始まったために、近くの畑も田んぼも、小川の傍の可愛い水車小屋もあっという間に姿を消した。
話しは変わるが私の家は、曹洞宗として仏壇のお守りをしていたが、それは、父の間違いだと言うことに気がついた。父の実家は村田家として代々後期の徳川時代から続いており、ちょっとした庄屋だったために、曹洞宗の寺の檀那として世話をやいていたらしいが、父は河島家に養子で入ったからには、河島家の流儀にしたがって、浄土宗に変えねばならぬ。それで、平成13年下永谷のマンションに移転した機会にさっぱりと、今までの曹洞宗のお寺と縁を切って、野庭の調整区域にある浄土宗のお寺の檀家になった。
小川が流れ、春にはレンゲ草が咲く田んぼや梅の果樹園などもあって、自然の色が濃いその寺は、鎌倉時代からつづくお寺だそうで、棚経などにために来てくれる和尚さんは、代々そこに暮らしているから昔の話しをよくしてくれる。
盂蘭盆会の棚経のときに、こんな話しをしてくれた。
「昔はなあ、8月12日にそこに主人は畑へいって真菰を刈ってくる、それで新しい茣蓙を作るんだ。出来上がると、庭先に戸板などで台を作り、新しい茣蓙を敷き、その上に仏壇から取り出した位牌、三具足-香炉を中心に花立て、燭台-を飾り、赤いホオズキや茄子やキュウリなどお供え物を並べる。
夕方から夜になると、迎え火を門口にたき、主人は提灯を以てお墓へ行く。おしょうろう様(お精霊さま)を迎えるためだ。そして、提灯で夜道を照らしながら、(ご先祖様、こちらでございます)と家まで案内したもんです。16日には送り火をたき、おしょうろう様に冥土にお帰りいただく、という風習だった」そうだ。
85歳になっても、神戸の町中で育ったものには、想像も出来ない世界。お伽噺しの世界のようだった。
因みに、横浜市が生まれたのは、まだ人家より田んぼが多い明治22年だが、始めて5つの区制が敷かれたのは昭和2年、同18年に南区が新しく生まれ、今私が住む港南区が分区して出来たのは、漸く土地ブーム、住宅ブームが盛んになった44年だった。現在横浜市は拡大発展して川崎市に隣接して18区を数える。
私はいま、昭和で数えれば84年目になる。碌々として長く生きてきたものです。