『にごっている田はよく実る』

河島 正

この9月1日の朝日「天声人語」欄にこの言葉があった。僕は神戸のど真ん中の町で生まれ育ったから、この言葉は恥ずかしながら、始めて聞くことばだった。小さい魚や虫たちが動き回るから、煙幕を張ったように水がにごる。つまり「生物多様性の原則」の恩恵にあずかりながら、稲はすくすく育つというわけだ。とありました。
「水清ければ魚(うお)棲まず」という言葉は聞いたことがある。これは孔子家語という古典のなかに在る言葉だが、この古典の内容は(古の優れた天子は、《*注》冠をかぶりその前後に飾り玉を垂らし、耳のそばにも玉を垂らして耳を塞いだのは、自らの聡明さを他人にあらわにする事をはばかったためである)つまり、人があまり聡明にすぎると 仲間が出来ない、「水至って清ければ即ち魚無く、人至って察なれば則ち徒(と)無し」と原文にある。
諺として知っていても、実社会に出たらすぐ忘れてしまって、自分の生(き)のままで無頓着、かつ傲慢な生き方をしてしまった僕は、それが生来の性格、持ち分とは言うものの悲しいこと。せめて、後進の若い人が前車の轍(わだち)を踏まないように祈るだけです。
生物多様性の原則など、現代的なことばを知らなくってもいいのです。真理というものは万古不易で、世の中が地球大にひろがり、多様な人びと、複雑な交易が展開するなかで、寛容とか多様な考え方とか、出来るだけ多くの人と接触するとか、が今ほど大切なときはない。とにかく本を読む、日記を付ける、ものを考える、人から学ぶ…ということを老人も若い世代も一緒になって考えてゆかねばならない…とつくづく思います。
注、冕冠(ベンカン) 中国では、冕冠は皇帝から卿大夫以上が着用した。冠の上に冕板(延とも)と呼ばれる長方形の木板を乗せ、冕板前後の端には旒を垂らした。旒の数は身分により異なり、皇帝の冕冠は前後に十二旒、計二十四旒である。
冠側面から玉笄と呼ばれる簪を指し、底部には纓と呼ばれる組紐がつく。また冕板の中央には天河帯と呼ばれる赤帯がついた。(百科辞典より)


(右図は蜀の劉備という)