『過去とは何か』

河島 正

最近、遠縁のS氏が肺炎でなくなった。金沢にいた人で、最近もご先祖の著書のことで、若干、文通をしていた。90歳だから天寿を全うした、というべきである。女房がいろいろ、河島家との関係について質問したから説明した。そのあとで彼女は「いずれにしろ、もう過去のことだからね」という。過去のことは、現在も将来ももはや、関係ない、というニュアンスだ。こういう考え方のひとは僕の友人にもいる。
しかし、僕はその、過去のことは済んだこと、関心をもつ価値がないもの、という考え方にいつも、ひっかかるものを感じる。
過去は、現在を生きる我々にとって、そんな一顧だに値いせぬものなのだろうか。フリードリッヒ・シラーの言った言葉にこんなものがある。
「時の歩みは三重である。
未来はためらいつつ近づき
現在は矢のように早く飛び去り
過去は永久に静かに立っている」
現在という時は、生きているものにとって多忙な時間だ。絶え間ない欲望の渦中で、気がつかぬまま瞬間の連続のように消費される。それは唯一の頼りになる実在のくせに、それほど尊重されないままに、人生の波間に埋没してゆく。今日も明日も明後日も。そして将来は未知だ、明日生きているか、病気になるか、事故にあうか、神ならぬ身の知るよしもない。
そうだとすると、一番確かなものは、過去ではないか。過去はもはや動かない、凝然として存在している。現在はその過去の産物であり、現在の生みの親でもある。どうして軽視し得ようか。
僕は、戦後社会へ出てがむしゃらに働いたあと、「なぜ我々はかかる無謀で愚かな戦争に突入したのか」とう疑問に正面から取り組むことが出来る時間を持った。それを感謝している。これは、われわれ日本人とは何か、日本人のなかの何が狂騒にとらわれたように悲劇の時代を現出したのか、は僕にとってある意味で大きな研究し甲斐のある課題になった。
僕は冒頭の親戚、S氏の祖父が明治時代に著した陽明学関係の古書と取り組んでいるうちに、数ある東洋学者の言行や著書に接する機会を得た。そのうちの一人に明治時代の開校まのない京都帝国大学文学部で京都支那学の開祖とされる狩野直喜(かのなおき1868-1947)教授という人がいる。彼が死の床にいる時、見舞いに来た弟子の細川護貞(旧熊本藩主17代目当主、戦時中内閣総理大臣秘書官)から「なぜ日本がこんな馬鹿な負け方をしたのでしょう」と問われたとき、「朱子学のせいだ」と答えたという(司馬遼太郎による)。
彼はもともと、朱子学が嫌いで実証を尊んだ。と言われているが、この朱子学の伝統的気風が徳川時代から明治、大正、昭和戦前まで教育勅語を始め、教条主義、非実証の観念思潮の土壌となり批判を許さぬ一徹さで横行したことは多くの人の知るところである。
問題は、マッカーサー以後それは消滅したのか、ということだ。三つ子の魂百までという諺もある。日本人の中にあるシンプル-単純、プレーン-素朴、グッド-善良と無用の贅沢と浪費を排する気象を愛し、称揚したのは、明治時代、五高という旧高校の英語教授であったラフカディオ・ハーンである。しかし、大きな時代変化の中、戦後日本の経済成長や生活スタイルの変化を経由して失った美徳が少なくない。けれども僕は借問したいのだ。基本的にシンプルという(ある意味で哲学と相反する)気象は依然我々の中に根強いのでないか、付和雷同、個の未確立というテーマとともに。 何故15年以上に及ぶ昭和の動乱が破滅の淵に至るまで続き、多くの悲劇と不幸を国民に招来したのか。
何故あの過去が存在したのか、その前の過去つまり明治、徳川時代の日本人と連続するなにかがありはしないか、そして現在の我々が若い人も含めて、未解決のまま安穏と現在を過ごしていていいのだろうか、僕の研究課題はまだまだ続くようである。