『徳は得なり』

河島 正

中学二年の時、「チンコロ」というあだ名の先生がいた。身体も小柄だが、ご面相がチンコロそっくりなのだ。本名は白根先生。「流星光芒八十年」に投稿してくれた31回卒の篠崎さんが、丁寧に当時(昭和11~18年)在籍の全教職員の名簿一覧表を付けてくれている。その名簿によると数学のご担当だが、昔のことで私にははっきりした記憶がない。
その先生が、ある日、授業のとっぱしに、背伸びしながら黒板に「徳は得なり」と書いたものだから、みんなが一斉にわあっと笑った。漢文を習い初めの悪童たちにとって、徳という高尚なことばが、利益の意味の「得」などといっしょだとは、変だ、というわけ。  先生はこれについて何かを言いたかったのでしょうが、思いがけない爆笑にあって辟易したのでしょう、話しを打ち切って、本業の数学に移ったらしいが、それについては記憶にない。
ひとは肝心なことより、枝葉の印象的な事件だけ覚えるものらしい。
時、移って70年、白頭の老爺になってこの言葉に再会した。山鹿素行の著作した「聖教要録」にある。山鹿素行というと、赤穂義士の忠臣蔵で有名。講談師が「暁の冷気を破る山鹿流陣太鼓…」と張り扇を叩くので、ご記憶の方も多いでしょう。   江戸時代から明治初年にかけて、武士階級が素読した教養の第一は儒学であり、朱子学です。山鹿素行(1622~1685)は会津生まれで、江戸へ出て幕府が定めた官学の林羅山に入門したが、16世紀の中国の王陽明と同じく朱子学を批判し、幕府の忌諱に触れて赤穂に流罪された。彼は、儒学とともに軍学、神学、歌学も学んだ学者で、大石良雄も門弟だった。
私はちょっと陽明学を勉強しているが、その関係で山鹿素行の著した「聖教要録」を読み、タイトルの「徳は得なり」を発見したわけ。これは一口に言うと素行の「儒教理論書」とも云うべきもの。素行は数十巻の書「山鹿語類」をあらはしていますが、そのうちの一部です。
この「聖教要録」の序に
「聖人杳(はる)かに遠く、微言漸く陰れ、漢唐宋明の学者、世を誣い惑いを累ぬ。中華既に然り。況んや本朝をや。(中略)周公孔子の道を崇び、初めて聖学の綱領を挙ぐ」とあって、
聖人、致知、聖学、道、理と項目を並べるなかに、徳が出てくる。

徳は得(うる)なり。知至りて内に得る所あるなり。之を心に得、之を身に行う を徳行という。
「徳は得なり」自身が難解なのに、この結論を得るための手段である「知至りて内に得る」はもっと難しい。これは四書の一つである「大学」の主要テーマである「格物致知」(物-真理-に至って知を完成させる)から出発している。これは、物事を知るには、事物の究極の原理をとことん究明し極めることが大切で、そのための精進努力、実践を奨めている。なにしろ、「学んで聖人に至ることが出来る」という孔子の教えが基礎にあるから大変。
もちろん、悪童たちが理解したような「得イコール利益」ではなく内心に道理を獲得することを指して「得」即ち、得るといったのですが、14歳ぐらいの少年には洒落(しゃれ)ぐらいにしか理解されなかった。
幼いころの人生のひと幕でした。