『ひとと交際するということ』

河島 正

ビジネスで、或いは社交でなぜ、「一緒にめしを食う」ことが大切か。
人間は理屈だけで、話が出来ない。意志や気持ちだけで「うち解ける」ことは難しい。
私の父は、私が社会に出る時に言いました。「相手と一緒にメシを食うことが必要で大切なことだ」と。若いときはその真意がわからなかったが、80を越し、ゆっくり来し方を顧みる余裕が出来て、しみじみその意味を知る。
酒を飲むのはよい、しかし、酒を飲む快感にだけ、夢中になって楽しみ騒いで快とするのは、父の言う意味と天地の差がある。
その辺がわからなかった、惜しいことをした。俺はやはり、晩稲(おくて)だったんだ、と知る。
「一緒にめしを食う」ということは、会食する、という儀礼的な意味と基本的に違うものだ。酒が入ってリラックスする、自然に裃(かみしも)脱いで人間同士、裸同士で忌憚ない話しをする、その中で得られる貴重なもの、情報が大切なのだが、酒が好きで酒に飲まれて己を失ってしまっては本来の意味を失うことになる。飲むこと、気持ちがいいことだけで終わったら、実は貴重な時間を無駄に過ごしたことになる。
人間は、理屈だけで生きられないし、感情・情緒だけでも失敗する。それに、一人一人が経歴、学び方、性格の内容が違う。それが素晴らしいから、どんな人からでも学ぼうとと思うと得るものがある。
それがわからない。40、50の年を越し、ひとかどの地位を得、人から敬語で挨拶されるのが常態になると、どうしても自己過信におちいる。つまり、傲慢になっているのだが、鏡を見てもわからない。そこが落とし穴だ。(注意しよう)と思う人は僅かである。自分もまさにそうであった。
僕の友人で5,6年後輩に時国さんという人がいた。彼は全く他の同僚と違っていた。ものの言い方が非常に丁寧で謙虚。群をぬいていた。彼は一部上場の製紙会社の役員になりましたが、そのあとも30年たったあとも一貫してその丁寧さと謙虚さは変わりなかった。僕より2,3年後輩で高商しか出なかったが、僕より上になったとたん、がらりと乱暴な言葉遣いになった人と大違いでした。
人と確かなつきあいをする、間違いないキャッチの仕方をする。その修行は年期がいると思いますが、いかなる人にでも先入観や既得知識だけで交際するのは間違いだと思います。なぜなら、ひとは毎日変わります、成長するからです。多くのいろんなタイプのひとと、交際して間違いないための秘訣は、自分を貴ぶことだと思います。自分を「とうとぶ」ことが出来れば天下無敵です。「達人ハ自我ヲ貴ブ」という諺は意味が深いと思います。