『人の生き方、学びかた』

河島 正

今日(6月5日土曜)朝日のbe版を読んでいたら「磯田道史この人その言葉」が目にとまった。この人の掌編は面白いのでいつも読む。
今日は「松田権六」を取り上げていた。僕はこの人のことは知らなかったが、権六が近代漆器の名工となるための積極的な勉強姿勢と心がけを記している。松田は言う、「人間誰しも心がけ一つである。最初は僅かな自己訓練から始まり、その自力で発足させたものが習慣になり、その積み重ねが驚くほどの大きな成果をもたらす」と。
これを読んで、今は亡き次男、宏を思い出した。
彼は昭和34年5月に生まれたが、翌年9月弟が生まれた。もうその頃歩いていたが、盥で産湯をつかわせている盥のそばにしゃがみ込んで、じっとこの不思議な新来者を見ている1枚の写真がある。2歳になって押し入れのなかに首を突っ込んで3歳上の兄の絵本を見ているとき母親が、「読んであげようか?」と聞いたら「いらない」と言った。彼は文字の学習をいつの間にかやっていたのである。彼はいかにして自学自習をしたか。
宏は母親と外出して、近くの「自由が丘」の駅から電車に乗るのが大好きだった。「じゆうがおか」というアナウンスを聞き、それを記した駅名表示を見る。それが最初の文字の発見だった。次の駅でも「みどりがおか」というアナウンスを聞く。その看板を見る。
話が飛ぶが、高峯秀子という女優がいた。彼女は大正13年、北海道で生まれだが、運命の導くまま貧乏な蒲田の親戚の家に強奪に近い状況で連れてこられ、5歳から子役の修行をさせられた。学校に行きたくて仕方がなかったが、その自由がなかった。彼女も知的欲求が強かったから自学自習をした。どうして字を覚えたかというと、フアンからもらった絵本で習得したそうである。象の画がある、その説明に2文字がある、その「ぞう」が「ぞ」と「う」と推察した、まさか、その画に(しか)とはないだろうと。彼女は単に名女優となっただけではない、人間的にも成長し随筆家として多くの単行本を出しているのはご承知の通り。
人間はすべて何かを求める強い積極性があり、それを持続させるエネルギーが内に燃え続けるかどうか、それが一生を決定するようだ。
宏は小学校に入学したとき、もらった教科書のすべてをその日の内に読了してしまった。翌日から彼にとって毎日が退屈で忍耐をしなければならない時間になり、図書室にある本を借りてきて読むのが最大の楽しみになったそうだ。
常に前進を考える。視覚、聴覚、思考力を動員して積極性の地盤を活性化させる、それでこそ、人生に生き甲斐が花開くのでなかろうか。