『ひとに優しいことと人間が大きいこと』

河島 正

「あの人は優しい」 ということと、「あいつは人間が大きい」ということと別のカテゴリーのように思う。しかし、よく考えてみると、その底になにか通じあうものがある。 人間がカリカリしている、あいつは怒りっぽい、人に嫌われやすいひとだと言われる人はつまり、余裕のない人なのかも知れない。一方、「大きいひと」は何となく茫洋としたところがあって、些事に拘泥しないようだ。 私は、幸運に昭和17年の春、熊本の(旧制)五高文科に入学した。その頃、寮やボート部で「大きい人間になれ」と言われたものだ。しかし、まだ中学生気分が残っている私には、良くその真実がわからなかった。わからないまま、大学をへて実社会に入った。
同じ五高の友人に神崎倫一(こうざきりんいち)という人物がいる。今は経済評論家としても文芸・随筆家としても有名な人だ。終戦後は私も就職難で困ったことがあるが、彼も戦後満州から引き上げてきた父上と2人の生活のため東大卒業後、野村証券に入社した。その時のことを小柳道男(ダイヤモンド社常務・経営評論家)がその随筆「親と子の絆」に次のように書いている。
神崎さんがいよいよ明日、野村証券へ初出社するという日の午後、縁側でツメを切りながら、父上は神崎さんにこう語りかけている。
「倫一、実社会へ入るにあたって、おまえに守ってもらいたいことが三つある」
「ハイ」
「一つは、賭けごとの金は、あどに残すな。借金しても払ってしまえ」
「……」
「二つ目は、変わり上着を着るな。ちゃんと、三つぞろえを着用しろ」
「……」
「三つ目は、カミソリの刃は一度使ったら、あとは捨ててしまえ。以上の三つだ」
ハイ、わかりました、と神崎さんはそのとき答えたが、そう深く心にとめなかった。
それから三十年、あわただしく歳月が流れた。
紅顔の神崎さんも、はや還暦を越す熟年となった。
あるとき、ふっと、三十年前の父上の言葉が、神崎さんの胸のなかによみがえった。
…そうか。
バクチで負けたら、すぐ払ってしまえ。これは、〈負い目をつまらんことで背負うな〉ということだな。
それに、一人前の仕事をしようと思う男は、それなりに身なりをキチンとしろ。
そして、男は、こまかいことをケチるな。
親父は、"男の品格"ということを親父なりの表現で単的に教えてくれたのだなと、神崎さんは胸のなかにジーンとしみるものを感じたのだった。
この話を私にしてくれたとき、神崎さんは、「年輪を重ねないと、親父の奥行きの深さというものは、なかなか味わえないものなのですね」
という言葉でしめくくってくれた。そして、昔の親父の風貌をなつかしむような表情をした。
「大きいということ」は優しいということ、「優しいということ」は 大きいということだ。簡単なそんなことが年輪を経ないとわからないものですね、簡単なそんなことがわかる年齢になりました。有り難いことです。