『達人と自我』

河島 正

子どもの頃から、自己意識というか、自分について意識、無意識をとわず、時と所とをかまわず、自惚れたり、自信喪失したり、悩んだりしてきました。 他人から見ると、傲慢とか気取ってるとか、意気地がないとかいろいろと評される。つまり、不安定なんですね。大人物になると、超然としてものに動じないかっこうですから、そういう人の自我意識、あるいは自己評価というものは、どうなっているんでしょうか。
わたしは70歳前後のころ、悪筆をすこしでも、よくしたいと書道を勉強したことがあります。ある日、貰ったお手本は行書で「達人自我貴」の五文字でした。「たつじんはじがをとうとぶ」と読む。
そのとき、わたしはなぜか、はっとしました。この自我を貴ぶということは、自尊心というような次元の低いものでない、もっと高次の、まだわたしにははっきりしていない、少なくともまだ会得していないものらしい…。
それから十年、やっとすこしだけわかってきました。西国巡礼や四国八十八カ所、尊敬する坊さんの話し、霊界の話しやお経の本、これらは知識でなく毎日の読経と同じですが、いろいろ勉強したわけです。自分という者はほんとは、貴いものなんだ、ということと、自分の周囲には貴いもの、感謝すべきものがいっぱいある、ということなんですね。
これを、教えてくださったひとは、秩父地蔵寺の橋本徹馬さんというひとで、約十八年前に百歳で亡くなっておられます。しかし、こういうことは知識ではありませんから、京都の一燈園の皆さんと同じで、修行しなければ、活字やご本だけではわからないでしょう。
八十歳を過ぎて、体力が落ちてきました。七十歳代後半は維持した体重55キロが、八四歳52-53キロ程度です。老人になると言うことはエライことなんです。しかし、えらいもんですね、この頃は女房がヒステリーを起こしても、腹が立たなくなりました。自分でも不思議です。毎朝の公園ごみ拾いと感謝の行のおかげでしょうか? 有り難うございました。