『礼儀作法今昔』

河島 正

ぼくは、老人というものは若い世代に責任があると思う。何故かというと、若い人は-ぼく自身、反省しているように-エネルギーが横溢しているために周囲を見まわす余裕が無く、自分本位で動きやすいものだが、老人は精力が衰える代わりに、周りをゆっくり見回す時間と余裕があるからだ。 5月6日の朝日「天声人語」に次のような文章があった。「俳人の楠本憲吉(彼は江戸時代から続く大阪の高級料亭の生まれだ)が子どものころ、魚を食べ残すと『そんな食べ方をすると、お魚は成仏しまへんで』と祖母に叱られた」とその随筆にあって、更に「きれいに食べるだけでない、骨に熱湯を掛けスープのようにすすった。さらに骨をしゃぶって髄を味わい、最後に猫にやったから徹底している。魚も成仏したに違いない。今こそ見習うべき『もったいない精神』であろう」と。
読んで「ほんとうの上等の生活の仕方とは何か」を考えさせる一文である。清潔でつつましく、周りに配慮の行き届いた生き方と、現代の植民地的アメリカ文化とも言うべきハンバーグドッグの立ち食い、道ばたへの食べ散らかしの風俗とのあまりにもひどい違い。いったい、日本人は何故このような野蛮人に近い有様に堕したのだろうか。
祖父、祖母との三世帯同居が普通、皆揃ってちゃぶ台を囲み、頂きますの合唱が聞かれた戦前の風景と、個食が普通で情緒のない外食が一般化した現代との落差。時計のねじをいくら逆か巻しても追っつかぬ情けなさを感じるのは80歳以上の老人だけで、もう10年もすれば昔を知らぬ人間ばかり、むかしは「神州清潔の民」と云われたものだがそれと無縁の若者ばかりになると思うと、まことに悲しい。
祖先を大切に崇める儒教道徳は韓国の田舎に色濃く残っているという。日本のように、経済成長のおかげで田夫野人が居なくなり、日本中都会だらけという豪華な街の中の、この蛮風はゆくゆくどうなるのであろうか。