・・・東京武陽会に想いを馳せて・・・

岸本 晋吾(49陽会)

1分を争って家を飛び出し自転車のペダルをあらん限りの力でこぎ、滑り込みセーフで教室に飛び込む。
3時間目が終わると素早くお弁当の蓋を開け、早々と昼食を済ませ夕方4時前に授業が終了すると、当時はまだ兵庫学校にプールがなく水泳部員の20台あまりの自転車が連なり、お借りしている川崎重工や神戸市民プールへと練習に向かったものです。
練習は、ウォーミングアップから始まり、1500メートルの練習、100メートルインターバルダッシュなど合計で3000メートルぐらいの練習は毎日していたかと記憶しています。
練習帰りに仲の良い友と近所のうどん屋さんでたべた、肉うどんや卵丼の味は今も鮮烈に記憶の中に淡い思い出として残っています。
また、高校生活最後の頃、当時付き合っていた他校の女生徒と住宅街にあったシャレた喫茶店でタバコを吸って楽しく話した後、店を出た途端青年に声を掛けられ、何処の学生さんだと問いただされ、初めて私服警官と分り慌てふためいた事もありました。
当時の担任の先生が長兄と二中の同期の関係で、父母は呼ばれず兄が呼び出され、頭を下げて反省させられた思い出もあります、もちろんその後補導されるような事はしておりませんが現在も肩身の狭いスモーカーとして美味しく味合せていただいております。
当時はテレビもそれ程普及しておらず、もちろんIT等ない時代で、せいぜい雑誌が若者の情報源だった頃、16か17歳の本人は内心緊張の頂点にいたのではないかと思い返しています。
その後何年かして社会という舞台に上がり50年間色々の事を演じさせてもらうことが出来ました、楽しい出会いや、悲しい別れ、楽しかった出来事や、辛かった事、振り返って考えますと高校時代の経験がその中で生かされていることが多々あり、高校時代の友人に励ましや勇気など力をもらった事が多かった様に感じております。
兵庫高校卒業後50年という歳月が過ぎ、青春時代がほろ苦い思い出として頭の中と心の片隅で渦巻いている昨今ですが年に1度の東京武陽会総会に参加させてもらい、同期の方々や東京武陽会でお知り合いになった先輩、後輩の方々との束の間のひとときは自分で気が付かなかった思い出などを再発見したり、一人では思い出せない青春を気付かせてもらったり新鮮な気持ちを味あわせてもらっておりました。
私が東京武陽会の存在を知ったのは30歳も半ばを過ぎてからだったと思います、先ほど書きました長兄が誘ってくれて出席したのできっかけでした。
偶然でしたが当時の東京武陽会の幹事長・副幹事長が3番目の兄の同期であったことが、その後も出席させて頂く大きな要因に成っておりますが、出席を重ねる毎にお知り合いに成る先輩や後輩も増えてきて、「また来年お会いできるのを楽しみにしております」とお別れして楽しみが増えていきました。
このホームページで随想をお書きいただいております27陽会の河島正先輩も東京武陽会で知り合いになり、話しているうちに思い出を書いて頂くことになりました。
書いていただいているうちに、今でも勉強を続けておられることに驚嘆させられると同時に、私などが体験した事もない、知らない世界が身近で展開されていた事実を随想としてお書き頂き、明治に創立された二中も私が想像できない歴史を刻んで100週年という歳月を経てきたのだと読ませていただきながら考え深いものを感じさせられました。
また、先輩の中には著名な方も多く、総会での講演で建築家の清家清先輩、舞台美術家の妹尾河童先輩、元最高裁長官の山口繁先輩等の講演も学生時代を振り返りお聞きするのが楽しい事でした。
暫く前までは河島先輩の様に筋金入りの二中卒業の同年代の方々も多く総会に参加されておられましたが、この頃は世代交代で男女共学時代の年代の方々が多くなりました。
数年前になりますが、兵庫高校時代は水泳部の部活で明け暮れておりましたので、卒業後40年振りぐらいで、水泳部の神戸高校との定期戦を観戦させてもらいましたが、驚いたのはキャプテンが女性であったことです。
私が2年生になった時、部活勧誘で初めて女性の部員を勧誘したのですが、当時の女性部員はスイミングクラブの様な状態でしたので、女性キャプテンが男子部員に激をとばしている様は、タイムスリップしている自分の思考からするとカルチャーショックでした。
校長先生のお話では、現在の在校生も女性の在校生が多くなっている様で、今後の東京武陽会も50年後には現状の女子学生のほうが多い卒業生の集まりに変わっていくのか、もっと華やかな東京武陽会に成って行くのか、私には不可能でしょうが参加できれば見てみたい気がします。
時代とともに、社会も人の感性も変化していくのでしょうが、人が人と接して感動する気持ちに変わることはないように感じております。
その様な触れ合いの場として東京武陽会が発展してもらえればと願っております。

平成27年2月1日