東京武陽会のみなさん

世良 時子(81陽会)

こんにちは、81陽会(46回生)の世良(旧姓:宇治宮)時子と申します。
1994年高校卒業とともに神戸を離れ、既に人生の半分以上を神戸以外で過ごしていることになりました。現在は、東京の成蹊大学で留学生に日本語を教える仕事をしています。 いわゆる日本語教師という仕事です。また、ほかには日本語教師になりたいという人のための養成講座や検定講座などでも講師をしています。
国際化社会という言葉がよく聞かれますが、2009年の統計では、日本に暮らす外国人は約219万人、また日本へ旅行などで短期的に訪れた人が約582万人。日本を離れて暮らす日本人は約113万人。武陽会の皆様は広い世界で活躍されている方も多いですから、お仕事や学業の中で、国際化を実感される機会は非常に多いのではないでしょうか。
そして、その中でのコミュニケーションに必要なのが、言葉です。
日本では、英語や中国語を学ぶことのほうに目が向けられがちですが、同時に、反対側からの流れとして、日本語を学ぼうという人たちが大勢います。仕事や生活という切実な状況の下とは限らずとも、日本語の歌や映画、小説、アニメなどから日本語を学びたいという人もいます。
日本語を学ぶ動機として、「日本語が好き」とか「日本で勉強したい」「日本で働きたい」というような人が多いのはもちろんです。しかし、その人が望んで学びたいという場合だけではないのも現実です。「仕事に必要で、やりたくないけれどしょうがない」という人もいるでしょうし、「単位を取るためだけに」という人もいるでしょうし、「親の都合で日本に住むことになってしまったから」という人もいます。
とはいえ、言葉を学ぶことは、望むと望まざるとにかかわらず、新しい世界へつながる道具を得ることだと思います。そういう意味で、日本語を学ぶ人に関わり、日本語教育に関わっていられることは、私にとって非常にやりがいがあり、日々、楽しく仕事をさせてもらっていますし、教師として、また教育の研究者として、研鑽を積んでいきたいと思っています。また、日本語教育というのはあまり一般的に知られていない分野かと思うのですが、今後この業界がより明るい未来へとつながっていくことにほんの少しでも尽力できればと思っています。
私が日本語の教員になろうと思ったのは、高校1年生のときでした。高校2年、3年のときの担任だった吉田先生は、本当に親身になって相談にのってくださり、在学中に日本語教育に関する書籍を紹介してくださり、貸してくださったりもしました。その時に読んだ本の中には、大学に入学した後、授業の教科書に指定されていたものもあり、自信を持って講義に臨めたこともよく覚えています。
進学先を決めるときも、関西では全くと言っていいほど知名度の低い麗澤大学を受験すると言い出した私に対して、もちろん反対し、何度も時間を割いて話をしてくださいました。結局、私は先生にも納得していただき、麗澤大学の日本語学科に入学したのですが、心配してくださる先生を説得し、また兵庫高校生としてはおそらく一般的ではない進学先を選んだからには、それなりの成果を出さなければならないと思って大学生活を過ごしました。そのことが、次への進学、そして、現在の仕事へとつながっていると思っています。
また、高校のときの吉田先生をはじめ、部活でお世話になった先生方、大学で指導したいただいた先生方、と、本当に信頼できる先生に出会えたという経験があるからこそ、自分は教師をやっているのではないかと思います。
私は吹奏楽部だったということもあり、兵庫高校で過ごした時間が、私にくれた一番のものというのは、部活での貴重な音楽の経験とその時間を一緒に過ごし、今でもつながっていられるかけがえのない仲間たちです。
しかし、同時に、今、ふとこれまでの自分の歩んできた仕事の道を思い返してみると、ここへつながる始まりは兵庫高校にあったのだなと、普段意識していなかった恩恵を実感します。 東京武陽会に参加させていただくようになったのも、ふとしたきっかけからです。せっかくの世代を超えての貴重な交流の場ですので、高校時代への感謝を少しでもお返しできるようにという意味も込めて、今後も微力ではありますが、お手伝いさせていただければと思っております。

平成24年1月10日